歴史上の人物

歴史上の人物で皆さんが印象的なのは誰ですか?

色々と思い浮かぶことでしょう。

その中に聖徳太子が思い浮かんだ人、意外と多くないですか?

歴史の教科書にか欠かせない人物ですよね。

しかしこの誰でも知っている聖徳太子が実際じゃ存在しなかったのではないかという説が浮上しているのをご存知でしょうか?

そこでこの噂について詳しく見ていきます。



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そもそも聖徳太子って何をした人?

聖徳太子と法隆寺

ずいぶん昔ですっかり忘れてしまった!という人のためにまず聖徳太子がそもそも何をした人物なのかまとめていくと、時は飛鳥時代に遡るのですが、この時代は中国、この時代でいうと隋と言うのですが日本のことを格下に扱っていました。

しかしそれに対して疑問も感じた聖徳太子は遣隋使を派遣し、手紙を送ります。

結果として対等の立場が取れるようになりました。

また冠位十二階というのを聞いたことはありませんか?

歴史の教科書で目にしたことあるのではないでしょうか。

これは天皇に仕える役人を格付けするための決まりで、これまでの身分が一族に与えられていたものを、個人に与えるというやり方に変わりました。

そのため血筋に関係なく本当に能力のあるものが政治を行う時代に変わっていったのです。

さらに、その格付けした役人たちのルールをまとめるものとして十七条憲法も制定しています。

聖徳太子は20歳という若さで摂生についた

また摂生、つまり天皇が子供や女性の場合に代わりとなって政治を行う役職なのですが、きれいに20歳の時についたということにも驚きです。

そしてこれは驚きというよりもはや伝説的なエピソードになるのですが、いっぺんに10人もの話を理解しただとか、イエスキリストと同じ馬小屋で生まれただとか、予言が的中し続けているという話もあります。

そして聖徳太子の最期についてはいろんな説がありますが、自殺説が有力だと認識されていたようですね。

聖徳太子は存在しないという噂は本当なのか?!

偽の聖徳太子

このようにさまざまな偉業を成し遂げ、エピソードも多い聖徳太子ですが、なぜ存在しないというような噂が出始めたのでしょうか。

まず日本書紀というのは有名ですが、これに書かれている名前は「厩戸皇子」という人物。

これがこれまでは聖徳太子を指すのであろうとされて来たわけですが、実際本当に聖徳太子と同一人物なのかという疑問が出てきます。

というのも明確なことが書かれておらず、そもそも存在したのかどうかすら、あやふやなのです。

聖徳太子の肖像画からも矛盾点が

そして誰もがご存知、聖徳太子の肖像画。

それがコレ
 ↓↓
聖徳太子の肖像画
出典:Wikipedia

一万円にも描かれており有名ですが、これが本人ではないというのが最近言われ始めています。

その根拠はその人物の服装。

身につけている冠、衣服、シャクも全てその時代には存在しなかったものなのです。

驚きですよね。

さらには聖徳太子が存在した時代の天皇、推古天皇にも疑問の目が向けられています。

理由は隋史が日本に来日した際のはなしで、出会った王に関して男性だったとしています。

推古天皇は女性ですからこれにも矛盾が生じます。

そもそも推古天皇が存在したとわかる資料は聖徳太子のための資料からのみ。

ということはもしかすると、聖徳太子と推古天皇というのはそもそも架空の人物であったのではないかという考えが浮かぶわけです。

そういったことからこれまで教科書で一度聖徳太子という名は消え、「厩戸王(うまやどのおう)」と変更されるようになりましたが、日本の歴史において聖徳太子がどれだけ重要であるかを訴える歴史家も多く、改めて聖徳太子の記載をするなど話は難航しているようにも捉えられます。

何はともあれ、聖徳太子はいたのかいなかったのか…

今後の研究で真実を知りたいところですよね。

まとめ

歴史の中には新たな事実が見つかり、実はこうでした!なんていう話は結構多いものです。

しかし誰もが知っているあの聖徳太子となると驚きも大きいはずですね。

未来の子供達にも聖徳太子が語り継がれるのか、あるいは、聞いたこともない名前になってしまうのか…

かつては一万円札の肖像画にも選ばれた聖徳太子。

誰もが尊敬している人物ではないでしょうか・・・

今後の動きが気になりますね。



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